私たちが暮らしている今を、立ち止まって、考えてみよう!

デザインは本永惠子さん
デザインは本永惠子さん

  気がつくとテレビ、ラジオ、新聞などが情報源であった時代はとうの昔に影が薄くなり、パソコンを操作することで世界は想像もできないほど広がっています。情報もいとも簡単に手に入る時代です。さらに今まで当たり前のものとしていた社会の構造も危ういものになってきています。生きにくくなっていることだけは確かです。

   今、私たちは何をよりどころに生きていこうとしているのでしょうか。

 情報があれば安心できるのでしょうか。

そんなことを考えている仲間たちが金井淑子さんを中心に集まりました。ゆっくりと仲間の声に耳を傾け、饒舌な言葉、つたない言葉にならない言葉が行き交って、仲間同士語り合う大切な時間があります。20代から80代まで、いろいろな職業の人たちが一つの話題をいろいろな側面から話し合います。

その話題は生きていくための永遠のテーマもあれば、タイムリーな事件がテーマになったこともあります。この立ち止まって考えることを気づかせてくれるスペースを私たちは大切にしています。 

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〈第50回哲学カフェ横浜〉

◆テーマ :古代史から新自由主義に対抗する―律令制国家の『意識の内部の支配』

  ◇報  告:井内誠司さん      

  ◇進  行:山崎公江さん

◆日  時:2019年721日(日) 15時~18時 

◆場  所:哲学カフェ横浜・金井研究室 金沢八景駅至近マンション

◆問い合わせ:https://www.tetsu-cafe-yokohama.info/管理人・世話人 山崎へ

 所謂「自尊感情」「自己肯定感」の著しい棄損に基づくとみられる事件が後を絶ちません。これは自らの「存在価値」やその「危機」についての問いが、生命にかかわる切実な問題として社会の中に充満していることを示しています。この問いに答える上で歴史的視点が不可欠なことは言うまでもありませんが、日本古代史においては少なくとも目立った形での対応は見られないのが現状です。

 しかし、古代史研究はこれらの問い及びそれと関連する諸問題に対応する上で何ら意義を持たないのでしょうか。もちろん、1000年前後以前の歴史を扱う古代史は、現代の諸問題に直接、歴史的つながりを持つとは言えません。そのため、現代人が直面する個々の具体的問題に対応するには著しい限界があります。しかし、戦後の歴史学を築いたと言ってもいい石母田正は、古代の場において国家の成立を問うた際、次のように述べています。「成立の問題は直ちに国家の一般的性質や機能の問題につながってくる」。「日本史」の枠組みを前提にしたこの認識を、今日、そのまま継承することはできませんが、列島上における歴史的連続性が否定できない以上、古代史の問題が、国家に限らず種々の問題の「一般的性質や機能」につながる側面は否定できないでしょう。とすれば、「存在価値」や「自尊感情」「自己肯定感」の棄損の問題について考える上でも、古代史研究は独自のアプローチの可能性を有すると考えるべきではないでしょうか。

 では、古代史研究はこのようなアプローチのための具体的成果を何ら有さないのでしょうか。現代では人権・生命がまさに塵芥(じんかい)のごとく圧殺されています。遡れば中近世に至る古代史研究の蓄積はこのような時代に何ら抗することもできない貧弱なものなのでしょうか。

 

 この報告では、古代史学界が何ら注目することのない「意識の内部の支配」について取り上げ、新自由主義に古代史研究の立場から対抗する術を考えます。これは現代の諸矛盾に対応する上での知的営為の現状と成果・課題を考える上でも有益と考えます。(井内さんからの呼び掛け文) 

私たちの活動が東京新聞に掲載されました。